



『須く(すべからく)、一歩進む』は、明治・大正の頃、日本の国民病として恐れられていた脚気をめぐる医学論争を、海軍軍医髙木兼寛の奮闘を中心に描いた劇。
作・演出はLiveUpCapsulesを主宰する村田裕子氏。
2年前の2024年に東京で初演され好評だったことから、是非、髙木兼寛生誕の地である宮崎でも公演して欲しいという声に宮崎公演実行委員会が立ち上がり、多くの方々、関係機関、宮崎市、宮崎県という自治体の協力、後援を得て、今回の公演が実現したとのことです。
上演開始前、わざわざ宮崎にまで来られた東京慈恵会医科大学の松藤学長がホールの観客に挨拶され、大学側としても学祖髙木兼寛の故郷である宮崎での公演を望んでいたという話をされました。
観劇レヴュー:
さて、演劇の中身ですが、大変素晴らしかったです。
劇を見る前、実は私は少し心配していました。
脚気という当時の難病をめぐる医学論争が、果たして演劇という媒体にうまく載せられるのか。
学問的にも深い問題なので、演劇には向いていないのでは?
理屈っぽくなって、子ども連れもいる観客はついていけなくなるのでは?
ところが、そこはプロの脚本家・演出家、そしてプロの演劇人たち。
硬派な内容を、時にコミカルに、時に哀愁を漂わせて、史実に出来る限り忠実に、そして学問的論争の急所も外さずに、2時間という長丁場を、観客を飽きさせることなく、描き切りました。
子どもにも楽しく、大学教授の鑑賞にも堪えうる、懐の深い演劇になっていたと思います。
実際、私の座席の近くに座っていた女児が、実験用の犬に扮した役者たちが脚気にかかって倒れていくシーンで、それぞれの倒れ方がコミカルな動きだったので、きゃっきゃきゃっきゃ笑っていました。
主役の髙木兼寛も、跳んだりはねたり、ちょっと軽い人物のように描かれていましたが、学問的な内容で話が重くなりがちなところを、何とかアップテンポにしようとしていたのだと思います。
それでも、ところどころに厳粛なシーンもありました。印象的だったのは、兼寛が当時の明治天皇に、脚気対策として海軍における兵食支給の改革について英断を願い出るシーンでした。
舞台の奥の天井から白い大きな四角い布が降りて来て、布の向こう側から照明が当たり、神々しささえ感じさせる光が布を通してこちら側に漏れてきます。兼寛は舞台中央の一番前に出て来て、観客の方を向いて、少し顔を上に向けてしゃべるので、その布は兼寛の背後にあるのですが、観客からすると、兼寛がその神々しい布に向かって話をしているように見えます。
布の向こうに天皇の人影が映し出されるのだろうか、と一瞬予想しましたが、人影は一切なく、声もなく、光のみで、それがかえって至高の存在感を出していました。
舞台ならではの演出の妙でした。
それからもう一つ。演劇を見る前に気になっていたことがありました。
鷗外は出るのだろうか。出るとすれば、どんな描かれ方をするのだろうか、ということ。
鷗外は、出ました。実際のところ、劇の終盤は鷗外すなわち森林太郎が準主役のようでした。
陸軍軍医のホープとして、一方で上官の石黒忠悳に祭り上げられ、また他方では陸軍が決めた兵食規則を守るよう石黒から圧力を掛けられ、最後は多くの犠牲者を出した日露戦争時の脚気惨事の責任を取らされるような流れが形作られて行く。
ここでも大変印象的なシーンがありました。
日露戦争が勃発し、陸軍では脚気患者が少しずつ増えて行きます。脚気蔓延の状況を伝える電報が舞台の天井からひらひらと舞い落ちて来ます。
その数がどんどん増えて行き、まるで花吹雪のように舞台の中空を満たして行きます。
吹雪のように電報が舞い落ちる舞台中央に、林太郎が肩を落としてたたずんでいます。
林太郎の苦悩、悲哀が伝わってくるシーンでした。
この劇では、林太郎・鷗外を一方的な悪者としては描いていません。林太郎の微妙な心の揺れが、ほんの一瞬の表情の曇りや言葉を発する前の一瞬のためらい、そして沈黙・・・から感じられました。
兼寛と海軍は善、林太郎と陸軍は悪、というような安直な図式に陥らないようにしているのがわかります。
兼寛の側にも学問的な限界を見、林太郎の側にも組織人としての葛藤を見ています。
そこがこの脚本の深みであり、誠実さです。
後世の眼で見れば、タンパク質が豊富ということで兼寛が推奨した麦や肉の中にビタミンB1が含まれていた(タンパク質とビタミンB1はなぜか共存率が高い)から、というのが答えですが、この演劇の中ではビタミンの概念は一切登場しません。
あくまで、観客も兼寛や林太郎と同時代に身を置いて、同じ土俵の上に立って、イギリス経験主義とドイツ学理主義の間に挟まれるという疑似体験をするよう求められているのです。
こうした袋小路のような状況の中でも、ひとすじの光が見えるようなシーンもありました。
兼寛が海軍軍医を引退して、大学や病院の仕事に専念することを表明する場面。
海軍の部下が、なぜ脚気の原因追及を続けないのか、兼寛に迫ります。
兼寛は「自分としては、脚気の原因はわからなかったが、脚気撲滅の方法は見出した。原因追及は何年かかるか、わからない。原因追及するのは君たちの番だ。未来を君に託す」と言って、後輩にバトンを渡し、自分は日々の医療現場に入って行くのです。
このバトンの継承こそ、科学の営みの真髄であり、先行する者の説を土台にしてそれを越えて行くことが科学の進展というものです。
実際、兼寛の実績は海外で大いに評価され、のちにビタミン学説の誕生へとつながって行くのです。
陸軍や帝大から「学理がない」と言って蔑視された兼寛の実績でしたが、兼寛は学理が生まれる前段階の土台を準備したのであり、後続の学者たちの歩みに大きなインパクトを与えたのです。
だからこそ、髙木兼寛の実績は高く評価され、南極に「高木岬」という地名が付けられるまでになったのです。ビタミン学説を見出したヨーロッパの学者たちは、兼寛が発表した論文を大いに参考にしてそこから示唆を得ているのですから、兼寛の功績は自分たちが一番よくわかっているのです。
学理をつかむことだけが価値があるのではない。その学理が生まれるための土台を作ることも、科学という公共の連続した営みの中では同じように価値がある。
兼寛は自分自身が当事者として科学の進展のプロセスの中にいたと言えます。一方、兼寛を批判するドイツ医学派は、既存の学理の体系の中にとどまるか、新しい学理が欧米から出て来るのを待つか、のどちらかで、どちらにしても自分たち自身は科学進展のプロセスの外にいました。
このように、この劇はその深い所で、「科学する」という営みの真髄にまで触れていると言えるでしょう。
ところで、この演劇での森鷗外の描かれ方は、これまでの鷗外像をくつがえす画期的なものだったと言えます。
『舞姫』や『山椒大夫』の作者としての文豪鷗外の側面しか知らない人は、この演劇を見てびっくりしたのではないでしょうか。
鷗外、すなわち森林太郎は、脚気をめぐる医学論争の当事者であり、日露戦争時の深刻な脚気惨事に関しても責任追及が迫る。
「この森林太郎って、あの鷗外のことだよね?」と、半信半疑で劇を見ている人もいたでしょう。
ここに鷗外の文学の秘密があり、逆に、鷗外のあの謎の遺言を顧みて、「あぁ、そういうことか」と腑に落ちる感覚を持った人もいたのではないでしょうか。
鷗外の文学面だけに注目していては、鷗外の遺言はわからないし、鷗外の文学についてもその最深部は謎のままでしょう。
鷗外は遺言の謎がすぐには解けないようにしました。しかし、こういう演劇が登場したということは、もう時が満ちたようです。鷗外没後100年が過ぎています。
さて、この劇のタイトル『須く、一歩進む』は何のことを言っているのか、考えてみました。
当時国民病と恐れられていた脚気に有効な対策を見出したと確信を抱いた髙木兼寛が、あらゆる障害や疑念を超えて、患者を救い国を守るために、切腹の覚悟を持って実験航海に踏み出した。
学理がないことはわかっている。だからと言って、学理が出てくるのを待っていては犠牲者が増えるばかり。
だから、ここで「須く一歩進む」べし。これは、兼寛の確信と情熱と覚悟に裏づけられた実践の一歩。
これと対照的だったのが、帝大医学部であり、陸軍医務中枢部で、既存の学理の体系の外に足が一歩も出ていない。
兼寛のように切腹の覚悟を持って一歩前へ出ることが出来ない。
いや、出ようとした人もいたでしょう。しかし強大な権力の元で潰されたのでしょう。
その“ツケ”は膨大な数の脚気犠牲者となって現れました。
この演劇は、兼寛の演説とナレーターによるエンディングナレーションで終わりを迎えます。
兼寛は晩年、国内を講演して回りました。その時の講演を彷彿とさせるかのように、兼寛は私たち観客に向かって演説をしました。
「脚気対策として麦飯を推奨した際には、誰にも見向きもされず、麦飯男爵と揶揄されたり、肩身の狭い思いをしたこともあった。
自分はこれから世界を回って、この脚気との格闘の話をして行きます。
ただ、私は、救えたはずの幾千万の命があったことを決して忘れません」
という演説を私たち観客に向かってしました。
そしてエンディングナレーションが続きます。
これは、100年以上前の事、なのでしょうか。我々は100年後、どう見えるのでしょう。
歴史は、教科書に書いてあることが全てではありません。人々の中に、真実があるのです。
あなたの目を曇らせぬよう
というナレーションで締めくくられました。
万雷の拍手でした。しばらく鳴り止みませんでした。
私は顔をクシャクシャにして泣いていました。
最後のあいさつのためにステージ上に並んだ出演者の何人かと目が合いましたが、この涙がお礼の印だと思って、敢えて涙を拭きませんでした。
あの涙は何だったのだろう、とあとで自ら振り返りました。
演者たちの熱のこもった圧倒的な演技。
兼寛の偉業とそれが認められないことの悔しさ、もどかしさ。
しかし、それでも前へ進もうという勇気、信念。
そして、日露戦争の際、脚気で亡くなった膨大な数の名もなき兵士たちの無念。
天井からひらひらと舞い落ちる紙のように余りに軽い命。
脚気を巡る陸軍・海軍、ドイツ医学派・イギリス医学派の党派対立の渦に図らずも巻き込まれた森林太郎・鷗外の運命。
そうしたこと全ての背後にある明治日本というあの時代の国家事情。
そうしたものがないまぜになって、私の涙となったのだと思います。 運命とは! 時代とは! 国家とは!
本当に素晴らしい演劇でした。出来ればこれから何度でもリバイバル上演があるといいです。
科学、歴史、文学が渾然一体となった作品として、特に若い人たちに見て欲しいし、文科省は推薦すべきだと思います。
こうした作品が受け入れられるかどうかが、日本社会の成熟度を測るバロメーターとなるでしょう。
(令和8年4月11日)
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