高木兼寛という人がいた 2

宮崎市高岡町小山田(おやまだ)に髙木兼寛生誕の地があります。

小高い山のすそに宮崎交通の髙木兼寛生誕地入口のバス停

バス停近くには髙木兼寛生誕地を示す立て看板があり、そこから小高い山を少し登っていくと、髙木兼寛を記念した「穆園(ぼくえん)ひろば」があります。この穆園ひろばはもともと、古い穆佐(むかさ)城の趾を髙木兼寛を記念する公園にするために整備したものだそうです。

穆佐城址に整備された穆園(ぼくえん)ひろば。敷地はあまり広くありませんが、地域の方々が定期的にお掃除されているそうです。

古い穆佐城の趣きが残る石段を登っていくと、穆園(ぼくえん)ひろばがあります。敷地はあまり広くはありませんが、髙木兼寛の銅像があり、草木が手入れされていました。地域の方々や髙木兼寛顕彰会のメンバーが定期的にお掃除されているそうです。

公園の入口には髙木兼寛の業績を紹介した看板があり、軍医姿の肖像画が掲載されています
穆園ひろばにある髙木兼寛の銅像。こちらはアカデミックドレス。髙木兼寛は日本で最初に博士号を授与されたうちの一人(令和7年5月撮影)

このように、ここ高岡は髙木兼寛の生誕地であり、彼を記念する公園もあるのですが、私自身は最近まであまり関心がありませんでした。

しかし、ひとたび関心を持つと、いろいろな事がわかり、それが更に広く深く関心を呼び起こす、といった感じです。

これからも少しずつ髙木兼寛にまつわる話を書いていこうと思います。(初出 2014年8月 一部修正)

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